私の「働くことと生きること」 その1 年賀状配達

郵便かばん

私の人生はじめての仕事は、年賀状配達のアルバイトである。

その年、高校2年生だった私はあるきっかけから不登校になり、家に引きこもっていた。それが6月のこと。引きこもりは半年ほど続いたが、12月ころから少しずつ外へ出られるようになっていた。

この好転の機を逃すまいと思ったのか、郵便局員だった父がすすめてきたのが年末の年賀状アルバイトだった。父が意識していたかどうかは知らないが、就労体験は引きこもりを抜け出させる手段としてよく使われる手でもある。

年賀状のアルバイトには配達と仕分けがあり、私は迷わず配達を選んだ。

時給がちょっと高いという理由のほかに、仕分けの仕事と違って人と口をきく機会が少ないだろうと思ったからだ。実際、配達はひとりもくもくと郵便物を配ることがほとんど。周りが男ばかりなのでわいわいおしゃべりをするような雰囲気もなく、口をきかなくても違和感はなかった。半年引きこもっていた人間には都合がよかったのだ。

それに、募集要項にはっきりと書いているわけでもないのに、女子は局内で仕分け、男子は配達と、仕事を選ばせられるのも気持ち悪かった。とはいっても、当時配達を選ぶ女子は私を含め2人しかいなかった。逆に局側がよく受け入れてくれたものだと思う。

アルバイトは12月下旬からはじまるが、年賀状の配達は1月1日からが本番。それまでは配達ルートを覚えるため、普通の郵便物を配る訓練の期間である。毎朝、大きな黒革の郵便かばんにその日配達する郵便物を自分で詰める作業がある。朝のうちは量が多いのでかばんの口が閉まらないくらいぱんぱんになる。

それを肩に斜め掛けし、一軒一軒歩いて配達していく。冬場だから足元も悪い。雪がちらつく程度ならいいけれど、たまに吹雪くこともある。それにどんなに寒くても配達していると汗だくになってしまう。仕事はやはりそれなりに大変だった。

配達中はエメラルドグリーンのような微妙な色のアノラックの上下を着て、足元はおじさん仕様の黒いゴム長。相当かっこ悪い。見た目をそれほど気にするタイプではなかったけれど、最初はかなり恥ずかしかった。

男子たちはひとり一台自転車が支給され、それに乗って配達に行く。私は郵便配達の赤い車に乗せられて配達地域まで送ってもらい、昼休みと仕事終わりに迎えに来てもらっていた。

直接言われたわけではないが、男子の中にはそれを不公平と見る人もいたようだ。たしかに車で送迎されるのは楽に見えたかもしれないが、車から降りたらずっとかばんを肩に下げて歩き回らなければならない。一軒一軒配るのも同じ。それぞれの大変さがあったという点では平等だったと思う。

学校はずっと休んでいたのに、結局アルバイトは一度も休まず通った。体力的には大変だったけれど、働くのは楽しかった。

アルバイトも終盤になると少し早めに配達が終わることもあって、その時一度だけ仕分けの女子と話をする機会があった。一日部屋の中で働いている彼女のことをとくにうらやましいとは思わなかったけれど、私もちゃんと学校に通っているかのように話を合わせたことだけが心苦しかった。

アルバイト中、一度だけ父が私の様子を見に来たことがあった。父は組合の役員をしていたので顔が広かったらしく、配達の職員とも気安く話をし、あだ名で呼ばれていた。父が普段どんな感じで働いているのか垣間見えた気がした。家にいる時とは違っていて、仕事してる父のほうがいいなと思った。

アルバイトから数か月後、本来なら高校3年生の6月、父のすすめもあって私は郵便局の採用試験を受けた。勉強が全然間に合わなくて受からなかったけれど、もしあの時合格していたら私は郵便配達員として社会人の一歩を踏み出していたかもしれない。

今こうやってはじめての仕事体験を振り返ってみると、自分の原点はすでにあるように思う。男女でなんとなく仕事が振り分けられていることへの違和感、働くことに対する根本的にポジティブな感情、などだ。

私にとって働くとは、生きていくという根源的なものに直結している。

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