通勤電車考_DAY16

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出社再開16日目。本日は出社デー。

今週は1日しか出社日がないので、できるだけ仕事を片付けてから帰ってきた。来週出社したらまた仕事がたまっていそうだ。

5月25日に緊急事態宣言が解除されてから、3週間ほどたった。一昨日、昨日と新規感染者が40人を超える日が2日続き、またじわじわとコロナウイルスに感染する人が増えている感じがする。

電車も、6月はじめ頃に比べると確実に乗る人が増えているし、街中を歩いている人も増えている。繁華街の道路は以前のように、人をよけて歩かないと前に進めない道に戻りつつある。人との距離がまたじわじわと縮まっている。

とはいっても、医療機関に余裕がある限り、緊急事態宣言を再び発令することはないだろう。今のところは特定の場所での感染が多いようだから、政府もどこか楽観視しているかもしれない。

この先どうなるにせよ、私はいつも通り生活していくだけだ。

それにしても、自宅待機によって人とあまり接しない生活を体験してから再び通勤電車に乗るようになると、電車で見知らぬ他人と接することはやはり相当なストレスなんだということを実感する。

電車ほど見知らぬ他人とパーソナルスペースを無視した距離感で近づく空間もない。

もし、どこか広い場所にいたとして、見知らぬ他人が横にぴったりくっついて立ったり、すぐ隣に座ったりしたら、はっきり言って怖い。しかも相手は無言なのである。

この人は何の意図があってこんなに距離を詰めて来るんだ?と頭がパニックになるか、逃げるかだろう。

でも、電車に乗るとこれが普通のことだと認識してしまう。もちろん錯覚だから、無意識のうちにストレスは感じている。

電車の内装を見ていると、吊革の間隔や座席のレイアウトなど、どう考えても人がぎっしり詰めこまれる前提で作られている。通勤電車の不快感はあらかじめデザインされたものともいえる。人がたくさん乗らないと、採算が取れないということなのだろう。

電車はもちろん便利な乗り物である。毎日毎日たくさんの人を運び、過密スケジュールで運行していながら重大な事故が起こることもほとんどない。そこで働いている人々の努力はいかばかりかと思う。

反面、人間の生理を無視したシステムの上に成り立っていることを考えると、利用しないで済むのであれば利用したくはない。

今、通勤電車を利用しているのは、他の通勤手段がほぼないからという消極的な理由である。都会で働いている以上、電車との縁を切るのはなかなか難しい。

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