カウンセリングを学んだ人間が、カウンセリングに通ってみて感じていること

私は2017年から日本産業カウンセラー協会でカウンセリングを学びはじめ、2019年8月からは月2回くらいのペースでカウンセリングに通っている。カウンセリングを学んだ人間がなぜカウンセリングを受けるのか?受けるととどうなるのか?実際に受けて感じたことや変化したことなどを書いてみたいと思う。

カウンセリングに行こうと思ったきっかけ

その前に、そもそもカウンセリングの勉強はどんなことをするかというと、私が学んだ養成講座では基本的に実践練習が主である。

勉強している同士がお互いクライエントとカウンセラーになり、話を聴き合う。クライエント役の人が自分の話をする場合はライブと呼び、クライアント役の人が特定の人物になりきって対話を行うのはロールプレイと呼ぶ。

ライブの場合、クライエント役の人がその時本当に気になっていること、軽く悩んでいることを話す。仕事のことや家族のことなど内容は様々。練習とはいえどちらも真剣である。対話の中で様々な気づきがあったり、時に涙する人もいる。

とはいってもやっぱり練習は練習である。これってラーメン屋をやりたい人が、ラーメンを食べたことがないのと同じだよなぁ…とある時から思うようになった。

臨床心理士などは養成の過程で教育分析という、自分の内面を深掘りしていくためのカウンセリングを何時間も受ける。それを知ったのは、日本におけるカウンセラーの第一人者だった故河合隼雄氏の本を読んだ時だった。

私も教育分析までは行かなくても、カウンセリングに通って自分をもっと掘り下げてみたいと思った。

そもそもカウンセリングを学びはじめたきっかけのひとつが「自分のことをもっとよく知りたい」だったので、その意味でもカウンセリングを受けることは自分にとって意味あることだった。

その一方で、なんとなくカウンセリングを受けることに二の足を踏む自分もいた。カウンセリングの勉強をしているのに「カウンセリングを受ける人=精神的に病んでいる人」という思い込みのようなものがぬぐえなかったからだ。

なので、そんなためらう自分の気持ちも尊重して、いきなりカウンセリングを受けるのではなく、段階的にカウンセリングに近づいていくことにした。

まずは箱庭を体験してみることに

最初に思いついたのが箱庭を体験してみることだった。先にも書いたように、私は河合隼雄氏の本を何冊か読んだ。河合氏はスイスでカウンセリングの訓練を受け、はじめて日本へ箱庭療法を紹介したパイオニアだった。そんな先人に敬意を示した、というか、とっかかりとして箱庭は入りやすそうだと感じたのだった。

そこで日本産業カウンセラー協会で開催していた箱庭療法の体験ワークショップに申し込んでみた。2018年8月のことだ。

箱庭療法では、内寸が縦57センチ、横 72センチ、深さ 7センチの木でできた箱に砂を敷き、用意されているいろんなおもちゃをクライエントが思うままに並べていく。箱の内側は水色に塗ってあり、砂をかき分けて川や湖といった水を表現することもできる。

言葉を用いずに内面を表現することができるので、うまく言葉で自分を表現できない子どもの心理療法としてもよく使われる。

参加したワークショップでは、6人ほどの参加者がひとり20分で箱庭をつくり、ファシリテーター指導のもと参加者同士でフィードバックしていった。私の番がきて、いろんなおもちゃを選んでどんどん並べていくうちにすっかり童心に帰っていた。「楽しい」というのがはじめての箱庭の感想だった。できあがった箱庭は解釈すればいろいろ意味があるのかもしれないが、このときはほとんどそういうことをしなかったので、私の内面がどう表現されていたのかはよくわからなかった。

このときのワークショップでつくった箱庭。右下にドラゴンがいて、なんとなく不穏だが…。

箱庭専門の個人カウンセラーのもとへ

それから1年後。そのころ仕事でいろいろ悩みを抱えるようになり、次はこの問題をテーマに話をしてみようと、個人でやっているカウンセラーのところへ行ってみることにした。このときもとっかかりは箱庭だ。

カウンセリングルームは都内のとあるマンションの一室。白を基調にした室内は、箱庭のセットと机、椅子が置いてあるだけで非常にシンプル。やわらかい日差しを感じる静かでおだやかな空間だった。

セッションは60分。簡単な問診のあと、カウンセラーに見守られながら私が箱庭をつくっていく。最初はちょっとカウンセラーに見られているのが気になるけれど、そのうち集中して忘れてしまう。そして完成した箱庭を見ながら対話をしていく。

自分では無意識に作っている箱庭も、どのおもちゃを選んだか、どこに置いたかなどにいろんな意味があるそうで、話をしているうちに自分でも「ああ、そうか」と思うことが多々あった。自分では気づいていないことをずばり言われるのが不思議な感じもした。

いよいよカウンセリングに通う

この時の経験でだいぶカウンセリングを受けることに抵抗がなくなった私は、いよいよカウンセリングに通ってみることにした。仕事帰りに行けて、無理なく通える料金で、できれば箱庭ができるところ。そう思って探したのがO大学付属のカウンセリングセンターだった。

なぜ大学のセンターを選んだかというと、民間のカウンセラーは相場がだいたい60分1万円なのだ。私の安月給ではとてもじゃないけれど通えない。今、私が通っているセンターは学生の育成を目的にしているので、60分3000円弱。通えない価格ではない。私はとにかく一定期間カウンセリングに通うという経験をしたかったのだ。

カウンセリングをはじめるにあたり、インテークと呼ばれる初回面談があった。電話で予約するときに簡単な悩み事を伝えてあったが、ここではじめてちゃんと話を聴いてもらう。実際にカウンセリングを行う学生の指導教官がインテークを担当した。カウンセリングと同じ60分の間で、私がどんな人物で、どんな悩みをもっているかを聴いていった。

インテークの前、私はやはりどこか身構えていたようなのだが、インテーク中はかなりざっくばらんな雰囲気だった。なんだか普通の雑談をしたような感じで拍子抜けしたくらいだ。おかげで「ああ、そんなに緊張しなくていいんだ」と少し気が楽になった。

カウンセリングの頻度はだいたい2週間に1回ほどである。はじめに箱庭をやってからカウンセリングに入ることもあるし、箱庭をやらないでカウンセリングだけのときもある。それは私の気分次第。カウンセリングとは本当にクライエントファーストなのである。

話しはじめると、私はいつも必ず父母の話に行きついてしまう。私がカウンセリングの勉強をしていたとき、ある指導教官が「父母の話がでてきたら注意して聴きなさい」と言っていたが、本当にそうだと思う。私は父母との関係性に問題があるし、そのことをずっと知っていた。でも、父母を恨んでいるとかそういうことでもない。問題はある。だったらそこからどうするか?が今の私の課題である。

カウンセリングのように、他人にはあまりしないような話を何の評価も批判もされずひたすら親身に聴いてもらうことは、普段の生活ではまず体験できない。だからこそカウンセリングの場では安心して自分のことをさらけ出すことができる。頭では理解したつもりだったことを実際に体験してみると、本当にそうなんだなと心の底から納得する感じがある。

カウンセリングでは時々、側にいるはずのカウンセラーの存在がふと消えるときがある。そんな時は、誰かに話をしているようで、実際は自分と対話をしている。本当に深く自分の内面に入りこんでいるので、いろんな気づきが得られることがある。

「私は自分の人生を愛している」という気づき

何度目かにカウンセリングを受けた帰り道、バスに揺られながらその日のカウンセリングを振り返っていたとき、ふと「私は自分の人生を愛している」という言葉が頭の中に浮かんできたことがある。

それまで私は、自分の人生をみじめなもの、劣ったものと感じていた。その日のカウンセリングでは自分のこれまでを振り返るような話をしたのだが、「なんだ、私はちゃんとがんばってきたじゃないか」と自分の人生を肯定している自分がいることに気がついた。そして、人生や自分に対する愛おしさがじわじわとこみあげてきたのだ。

こんな感情が湧いたのははじめてのことですごく驚いたが、同時にカウンセリングの面白さも感じた。そして私は今でも、自分で見つけたこの「私は自分の人生を愛している」という言葉を、心の中に大切にしまってある。

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