自宅待機が5月10日まで延期決定/「コンビニ人間」(村田沙耶香)_DAY21

自宅待機21日目。

会社から自宅待機を5月10日まで延期するとのメールが届く。この感じだと、5月いっぱいまで延期になるのかもしれないと感じる。

午前中は村田沙耶香著「コンビニ人間」を読む。いまごろ、ではある。しかも読んだのは単行本ではなく、4年前に買った「文藝春秋」2016年9月号掲載分だ。

一昨日、本棚の整理をしていて奥深くにしまい込んであるのをみつけ、読んでみることにした。せっかくだからと雑誌の最初から読み始めたら「コンビニ人間」にたどり着くころには力尽き、一日放置することになった。

「コンビニ人間」は、コンビニで18年働く36歳の女性が主人公。舞台は主人公が働くコンビニの中と主人公の部屋がほとんどだが、かといって、狭い世界で完結している物語なのかというとそういうわけではない。それがこの小説の面白さである。

この小説では「普通の人間とは何か」と問いかける場面が何度も出てくる。世間一般が普通とする人間とはかなりズレたところにいる主人公はまさに「コンビニ人間」である。そして主人公は、彼女を「治そう」とする家族や友人の行動を、冷静に観察する。

途中で登場するコンビニで出会った男とも、こちら側が期待するような展開にはまったくならず、主人公は「コンビニ人間」として前進していくのである。

この小説を読みながらいろいろな考えが浮かんだ。先日読んだ「日本社会のしくみ」の内容も、何度か頭をよぎった。

主人公はアイデンティティも生活もまさにコンビニに支配されている。でもこれは支配されているのがコンビニだから滑稽なのであって、同じような状態は私にもまったく心当たりがないわけではない。

どこか企業や組織で雇用されて働くというのは、ある意味「◯◯人間」になることだ。私はある会社で上役から「あなたもようやくこの会社の人間らしくなってきたね」と言われたことがある。そのときは「仲間になれた」感覚がしてうれしかったものだが、よく考えてみるとおかしな話ではある。

日本が就「職」ではなく就「社」であると言われるのは、まさにこのことなのだ。

ちょっと小説の本筋とは関係ないことまで考えてしまったが、今さらながら「コンビニ人間」を読んでよかった。

今日は昼ごはんのあと、川べりをちょっと散歩してから駅前のスーパーへ行くことにした。散歩している人がまた大勢いるのだろうかと警戒していたが、雷がゴロゴロ鳴っていたせいか、河川敷は人がほとんどいなかった。

散歩のあとスーパーへ行き、野菜類を買う。レジにいつものおばちゃんがいて、いつものようにテキパキ働いているのを見ると、「今日も元気でよかったな」と少しほっとする。

働いていない自分がなんだか申し訳ないような気にもなる。でも、おばちゃんはスーパーを維持するのが役割であり、私にも出社せず自宅にいて感染を広げないという役割がある。

そう思うことにした。

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