あの世とこの世は思っているよりも地続き

去年の4月3日、ミーという名の猫が亡くなった。3匹きょうだいで飼っていたうちの1匹で、もう少しで17歳になるところだった。

ミーが亡くなってからの1年は、けっこう長かったと感じている。

普通に日常生活は送っていたものの、ふとした瞬間に涙が出たりして、自覚はなかったけれどなんとなく不安定だった気がする。

さすがに最近はそういうこともなくなっているけれど、それでも時々悲しくなることはある。

そういうとき、「ああ、悲しいんだな。そうだよな」と否定せず受け止めることにしている。無理に「もう1年も経つんだから、忘れなければ」みたいなことは考えない。

悲しい時はちゃんと悲しむ。つらいときはちゃんとつらいと感じる。悲しみを癒すには、結局のところそれしか方法はないのだと思う。

命日が近づいたある日、「ミーちゃん 天国年齢1歳」という一文を思いついた。

亡くなって間もない頃一番とまどったのは、ミーの肉体は目の前から消えてなくなってしまったのに、心の中ではまだしっかりと生き続けていることだった。ミーは確かに存在している。けれど、もう触れることはできない。心の中ではリアルなのに、現実世界ではリアルではない。不思議な状態だった。

しばらくして「ミーちゃんは天国にいるんだ」と考えるようになった。そうすると、バランスがとれる感じがした。「ちょっと遠いところにいるから目の前にはいないけれど、確かにいるのだ」と。

「天国」とか「あの世」とか、死者との関係性に折り合いをつける実に優れたシステムを、昔の人はよく考え付いたものだと思う。

ときどき、「ミーちゃんは神様にかわいがってもらっているかな?」などと想像する。「私が死んだら天国でまたミーちゃんと一緒に暮らせるんだ」と思うと、死ぬのも悪くないという気になる。

私は霊も死後の世界も信じるようなタイプではなかった。でも、死はいやおうなくこちらに向かってくる。それを乗り越えるために、天国や死後の世界を信じてみるのもいいのかもしれない。

思っているよりも、あの世とこの世は地続きなのだと思う。


ここからはちょっと不思議な話を。

ミーが亡くなる1週間くらい前のこと。台所の前でミーがひとりたたずんでいたので、カメラを持ってきて写真を撮った。

撮った写真をデジカメの画面で確認すると、なんだか暗い。

「ちょっと暗いな…」と私がつぶやくと、ミーはトコトコと奥の部屋の方へ歩いて行った。なんだろ?と思って後をつける。

ベッドの横で立ち止まり、ミーは「さあ、撮りなさい」とばかりにポーズをとった。

「私が暗いって言ったから、明るいところへ移動してくれたのか…」

うしろに映りこんでいる布団が邪魔だったけど、ミーらしい、いい顔をしていたので、そのまま撮った。さっきより断然いい写真だった。

結局、この時撮った写真を遺影にして、今も本棚の上に飾っている。

ミーが亡くなった翌朝にも不思議なことがあった。まだ薄暗いなか、ほかの2匹の猫に起こされてベッドから台所の方へ歩いていこうとしたとき、猫の形をした白い影がさっと目の前を横切って行った。

生きているころのミーとそっくり同じ動き方だったので、「あ、ミーちゃんだ!」と瞬間的に思った。私に霊感はまったくない。それでも確かに見えたのだ。

ミーはまだ死んだことに慣れていなくて、生体エネルギーがこの世に残っているのかもな、などと思った。一瞬でもミーと再会できたことが私はうれしかった。

それ以降、その白い影を見かけたことは一度もない。

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