3月11日、何をしていましたか?

3月11日。

あの日、あなたは何をしていましたか?


2011 ・ 08 ・ 22 (月)

地震発生

今更ながら、記録として3 月 11 日の様子を書いてみたいと思う。

その日はパシフィコ横浜に用事があり、JR横浜線に乗っていた。

同じくパシフィコ横浜に遅れて向かっていた同僚とメールをしていたので時間はよく覚えている。14 時 46 分。ちょうど新横浜駅に着いてドアが開いたとき、突然電車がぐらぐらと揺れ出した。ゆ~らゆ~らと船に乗っているような大きな揺れ。乗客は比較的冷静だったけれど子供はさすがに怖がっていた。下手に外に出たらまずいなと思ってそのまま揺られていた。ずいぶん長かった。

揺れが収まってしばらくそのまま座っていた。この前の週にも電車の故障で足止めを食い、バスを探してうろついていたら結局動き出した、ということがあったので、少し待てば動くかもと思って待っていたが一向に動く気配を見せない。とりあえず外の様子を見に行くことにした。故障の足止めとは比べ物にならない事態になるとはこのときはまだ想像もしていなかった。

真っ先に向かったタクシー乗り場はすでに長蛇の列だった。バス乗り場も見に行ってみたけれどパシフィコ横浜に向かいそうなバスはない。頻繁に余震が起きる中、まだ現地に向かうことだけ考えていた。

ここでうろうろしていても仕方ないと思って横浜まで歩いてみることにした。地図はないが、ひとまず隣の菊名駅に向かって歩くことにした。駅前は電車が動かないのでたくさんの人がたむろしている。地図がないのでとりあえずどちらの方向に歩き出せばいいのか、店の前に出ていた書店のおじさんに聞いてみた。横浜はどの方角か?という漠然とした質問にあちらのほう、とやはり漠然とした答えが返ってきたが素直にそちらの方向に歩き出した。途中、携帯音楽プレーヤーでラジオを聞いた。通常番組はやっていなくて、都内の混乱した様子が伝えられている。そして、東北地方がとにかくひどいことになっているらしいということだけはわかった。

東北地方にいる友人のことがふと気になった。後でメールしてみようと思いながら歩いた。菊名はわりとすぐにたどり着いた。駅前は黒山の人だかりで、みんな所在無げでどうしていいかわからない様子だった。ここでもまだ私は横浜に行くことにこだわっていて、周辺をうろついてみたが道がよくわからず近くの不動産屋のお姉さんに道順を尋ねてみた。「歩いて行ける距離じゃないですよ」と言われ、ようやくこれは普段とは全く違う状況になったことに気が付いた。


2011 ・ 08 ・ 24 (水)

帰宅難民

菊名まで歩いては見たものの事態は一向に進まない。JRは早々に運転停止を決め、希望は東横線のみ。しばらく改札の前で様子を見てみることにした。菊名駅の改札は跨線橋の上にあり改札の真向かいに東急ストアの入り口がある。

ちょうどお店に入るところが何段かの階段になっていてたくさんの人がそこに座り、電車が動くのを待っていた。店から頻繁にお客の出入りがあるのだが、そこくらいしかいるところがないのだ。私も会社の人にメールを送りつつ、しばらく電車再開を待った。メールは返ってこないし電話は全くつながらない。

東北の友人にもメールしたがやはりなんの音沙汰もない。1 時間か 2 時間くらいたったころだろうか、もうパシフィコ横浜のことは忘れていた。そして、新横浜の駅まで歩いて戻ってみることにした。向こうのほうがお店もたくさんあったし、ひまをつぶすならそのほうがいいと思ったのだ。

まだかなりこの事態を気楽に考えていた。15 分ほどで新横浜にたどり着き、駅前に行ってみる。想像よりも事態はさらに悪くなっていた。駅ビルのエスカレーターは止まり、トイレは長蛇の列。お店はどこも閉まっているし、そもそも上の階は閉鎖されていた。しかたないからご飯でも、と思ったが飲食店も満席か閉店かのどちらかだった。

このままでは夕食にもありつけないと思って近くのコンビニをのぞいたらやはり大行列。ファーストキッチンものぞいたが、もう飲み物しかやっていないらしい。しかたがないので、歩いてくる途中にあったコンビニまで戻り、夕食のマーボー丼と水、非常食にとナッツやチーズを買った。コンビニの棚はすでにスカスカで、レジに並ぶ人はみな異様な量を買い込んでいる。買占めは地震の数時間後には発生していたことになる。再び駅前に戻り、外のベンチに座って夕食。タクシーを待つ長い行列が目の前に見える。あたりはうす暗くなってきた。冷えてきたので暖を取ろうと駅の中に入った。

所在無げな人たちがうろうろしている。隅のほうで眠っている人もいたので私も真似して少し眠ることにした。なんだかすごく疲れていた。

立て看板の裏の床に座り込んで1 時間くらいも寝ていたのだろうか。ふと気が付くと何時間も前に送ったメールの返事がようやく返ってきていた。同じ部署の人たちはなんとか家に帰ったり、昔務めていた会社に泊まらせてもらったりとひとまず落ち着いているようだ。こうやって外に放り出されているのは私だけらしい。

かなり体が冷えていたのでこのまま寝ていてはまずいと思ってまた動き出すことにした。そういえば、ファーストキッチンは開いている。体の冷えを取るなら飲み物だけで十分だ。店の中はやはり混雑しているが隅っこにまだちょっとだけ座れるところがあった。店員さんはなんだかすごくやさしく見えた。普段の様子を知らないので何とも言えないが、非常時でもなんとか店を開けていることに何らかの意義を見出しているように見えた。実際とてもありがたかった。

ホットココアを頼み、座って飲んでいると「ウィ!ウィ!ウィ!」と妙な音が一斉に鳴る。携帯の地震速報だ。そういえばこの地震の前に会社でもよくこの音が鳴っていたのを思い出した。地震の後だとこの音はいよいよ薄気味悪く感じる。ココアを飲み、人心地がついたところでまた再び菊名の駅に向かうことにした。じっとしていると寒くてしょうがないからだ。しかも新横浜駅はJR以外の交通手段がないし、ここにいても何も変わらない。


否応なく、手を差し伸べられる立場になる

菊名までの道はほとんど一本道なので迷うことはない。再び駅前にたどり着いた。駅の外にできていた黒山の人だかりはなくなっていたが、それでも階段を上がった改札前にはまだ座り込んでいる人がたくさんいた。私は長期戦覚悟で東急ストア前の段差に座り込んだ。改札前は非常に風通しがよく、寒い。3 時間くらい座っていたのだろうか。冷えがひどくなってきてた。

ふと気が付くと、なにやら大荷物のおばさんが 2 人。何をしているのかなと思ったら、私には真っ赤なタオルを手渡してくれた。冷えるから下に敷きなさい、ということらしい。そうやっておばさん 2 人は電車の再開を待っている人にタオルや布を配って歩いていた。まさか自分がボランティアをされる立場になるとは思っていなかったので、本当にびっくりした。そしてボランティアとは非常にさりげなく行われるものなのだということも新鮮な驚きだった。

とはいえ、寒いものは寒い。だんだん体が震えだしてきた。歯の根も合わないくらいガチガチいっている。少しでも暖を取ろうと思ってはじめて東急ストアに足を踏み入れた。レジ前にはそうやって暖を取る人がたむろっている。なんだかいたたまれなくなり、何も買わないままお店を一周しただけで出てしまった。

あまりの寒さに、ふとバイクで真夜中に銚子まで行った時のことを思い出した。あの日は初日の出を見ようとしていたので思いっきり冬だった。あの時も体の芯から冷え切っていたが、コンビニが見えるたびに暖かいものを食べてしのぐことができた。今はちょっと状況が違う。

相変わらず寒くて体の震えが止まらない。このままじゃ死ぬんじゃないかと思った。歩くしかなかった。再び新横浜まで行くことにした。そこしかもう道がわからないから。


避難所へ、そして帰宅

新横浜駅に向かう途中、缶コーヒーを買った。体の中がじんわりあったまる。歩き始めてしばらくして、ようやく震えが収まった。ラジオで新横浜駅の近くに避難所ができたという情報を耳にしていた。まさかそこまでの事態になると思っていなかったので行くつもりはなかったのだが、会社の人がいったほうがいいとメールで助言してくれるので向かうことにした。

大きな建物なので場所はすぐわかった。人もうろうろしている。ガラス張りで中の様子が見える。人が廊下にごろごろと寝転んでいる。
さて助かったかと思っていたら、もうここは満員ですので、別の避難所をご案内します、とアナウンスしている。

別の避難所があるという方角へ人の流れについていくことにする。しかし、いったいどこにあるのだろう。目的地がわからないまま歩かされるというのはとてつもなく不安なものだ。

いけどもいけどもたどり着かないのでいよいよ本当に不安になってきたところでようやくもうひとつの避難所にたどり着いた。さっきのところと違い、普通に講義などを受ける講堂で横にはなれそうもない。立ち上がると座面が跳ね上がるタイプの椅子が据え付けてある。疲れが取れる感じの椅子ではない。それでも改札の前よりましだった。ひとまず荷物を置いて、トイレに行き、さて寝よう、と思ったとき東横線が運転再開します、と係りの人がアナウンスしている。腰を落ち着けて 5 分もたっていない。

ここで一晩明かすか、電車に乗るか。もう 23 時になっている。眠い。せっかく来たというのに。

でも家に帰りたかった。猫も心配だった。すぐに駅へ向かうことにした。避難所から 5 分くらいのところに大倉山駅があった。

しばらく待っていると、あっけないくらいすうっと電車がやってきた。混雑してはいるが、朝のラッシュほどではない。あまりにスムーズなので今までのはいったいなんだったのかとちょっと放心気味に電車に揺られていた。でも、スムーズだったのは終点渋谷の駅までだった。渋谷からは井の頭線を経由して京王線に乗り換えるのだが、この井の頭線が曲者だった。

東横線渋谷駅の改札を抜けたときからやけに人がたくさんいるとは思っていたが、それがすべて一列につながった行列だとすぐに気が付いた。改札近くにある岡本太郎の壁画のところからその列は始まっていた。曲がり、くねり、角を右に折れ左に折れ、階段を上り、下りし、ひたすらのろのろのろのろのろのろのろのろ…壁画と改札が遠ざかっていく。

再び岡本太郎の壁画まで戻ってきたのは2 時間くらい後のことだ。ようやく井の頭線の改札にたどり着いた人たちはみんな殺気立っていた。私もイライラしていた。ようやく乗れた電車の中はそこまで込み合っていなかった。たぶん入場制限をしていたんだろう。

結局家にたどり着いたのは夜中の 2 時。地震発生から約 12 時間たっていた。家具が倒れるとか、物が壊れるとかもなく、3 匹の猫たちもいつも通りでごはんを待っていた。

もしかしたらもう家に帰れないかもしれないという状況がどれほど気持ちに負担をかけることなのか、はじめて理解した気がする。12時間程度でこうなのだから、震災で家を失ってしまったひとの絶望感はどれほどだったのだろう。

夕飯を何にしようか悩んだり、ゆっくりお風呂に入ったりといった何気ない日常がいかに大切なことか。自分の意志とはまったく関係ないものに巻き込まれ、翻弄されるのがどんなに恐ろしいことか。大切なものは、目に見えない。だからこそ、大切に。

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